hatumamaのブログ

26歳の息子、2016年2月11日縊死

27回目の月命日

月日の流れるのが早いなあ~

先日は、日赤看護学校仲間とグループラインで盛り上がった。

殆どが、大阪のままで頑張っている。

そして、話題は介護の辛さ

もう、自分達が年とった訳で 皆が様々な苦労をしている。

でも、「明日は、我が身」と受け入れ生活している。

遠く離れていても伝わるものは伝わってきた。


そして、今日は息子の27回目の月命日

昨日、美味しそうなジョナゴールドがあったので お供えした。

「・・ちゃん、月日の経つの早すぎ。・・ちゃんは若く綺麗なままだね!ママは手を差しのべるの恥ずかしい位 しわも出てきたよ。・・ちゃんの26歳で歳とらない遺影は、いつもママに元気をくれるって思う様にしてる。じゃ、今~お墓参り&実家の様子みて仕事行ってくるね🙏💦💦」


お天気で何より😊

生活スタイル変わってきて慣れてきだした。

2016年、最愛の長男を自死で亡くしてしまった😵💧

それからというもの、彼の遺した残務整理に半年以上かかり

その中で、次男を育てていく精神カの厳しさを味わった。

長女、次女は次々にベビーを授かり出産

勿論、里帰り

色々な修羅場、果たして乗り越えられるのか不安の日々

次男に、何らかの影響を与えない様に母なりに努力

日々一緒に居るのだから、母の病みきった姿を

見せる訳にもいかなく苦しかった‼

泣きたくても自室で、こっそり号泣(布団を被り)又は車の中で亡長男の名前を大きな声で呼び続け号泣😭😭😭💦

あの日から、私の生活の中で病みが始まり

訴えられない‼見せられない亡長男への気持ちを外に出せず耐えた。

耐え続け今に至った。

ある時は、衝動買いをしてみたり

ある時は、一人ぶらりと近くの埠頭へ車で行ってみたり

吐き出しきれず本当に苦しかった。

あれから2年3ヶ月

若干、亡長男の事「悲しんでも泣いても戻ってきてくれないんだ。」と

やっと「死」を受け入れ出した。

やっと(T_T)

自分の余生の計画も考えていかなければいけない事も

少しずつ、亡長男の元へ近づけていく中で

やらなければいけない事も

老後の準備

いざ介護をしている自分が「義父母さんに少しでも力にならなければ」と。

だから、毎日のように実家の様子を見に行っている。

私は、子供達に世話になりたくないと考えているので

その準備をしていかなくては、この日本 老齢化社会にパンク(介護)する日が来そうで

不安だらけ、でも それでも一人でも生活していきたい。

現在、大学一年生になった次男に負担かけぬ為にも

だから、奨学金も借りなかった。

彼に借金背追わす位なら、大学には行かさず就職っていう方法もあった。又彼なりに私学行く位なら浪人するといった著しい努力

国立を選んでくれた、そして行ってくれたのだから。


これから、この2年3ヶ月の苦しみ

未だ続くかもしれないが

hatumamaは、亡長男と共に

残された子供達の為に

穏やかに過ごしていこうと思う。


今は、自分がどの方向へ

どう生きて

残された人生、波乱万丈な人生でも受け入れる。

強くありたい。


ゴールではなく、出発点なのかな✨

hatumamaの独り言でした。

雨☔です。

又、仕事&介護に向き合う日々が始まった。

天気が悪いからか、心も少し沈みがち

私には、長期休みは似合わないな(>_<)

結局、ずぅーっと動いて

ずぅーっと家でも働く✋💦

やる事って 有るもんだなぁ^_^;

一日一日の大切さ

日々の身の振る舞い

心なしか余生を考える瞬間もあった。

一日一日育った木をノコギリで切る時、初めは躊躇した。

歴史、思い出

全てを感じたからである。

庭師さんみたいに綺麗に剪定出来なくても、私なりにやってみた。

外のサンドバッグは、弟君がボクシングをかじり買ったもの

それも、亡長男と娘と甥っ子の姿と声の動画が残っている

後何年、持つかなぁ~とか

本当に、この4日間 考える事ばかり

実家の方の整備も欠かさず


自分が動けるうちに廃品除去もしたかったが、実家は義父さんが捨てず、皆 頭抱えている

でも、もう知らない。出来ない‼


少し 心おちつかせ

日々を送ろう~♪