田舎→椎茸が送ってきた。
昨日、鹿児島の実母から椎茸が送ってきて 雛祭りの料理に使い 本日は、一人で焼き椎茸にして お醤油をかけて頂きました。
実は、hatumama 椎茸で育った様なもの
亡父が、道路公団の仕事で赤信号で 当時、国鉄職員だった人に
作業中5人跳ねられ 父の親友は、即死 父は次に重症でした。
再起不能から何年もかけて克服
しかし、以前の様に働けず 当時小六のhatumama兄妹は、父の入院中子供達3人で過ごし
母は、看病で週末帰るといった様な生活が半年位続きました。
今でも、あの苦労と兄の頑張りは忘れません。
当時、バレーボールをしていた私のジャージの膝の穴も兄が縫ってくれてたし
食事も、毎日みそ汁を作るのが私の役目 後は自給自足で、母が野菜を植えてくれてたのを もいで材料にしていた
そして、父が身体障害者2級
でも、私達子供を育てる為に椎茸業を始めたのです。
朝は、3時頃から兄妹3人共 椎茸を市場に出荷するため手伝い
規模を広げ、自宅離れに椎茸乾燥機で乾燥椎茸を東京、大阪の遠方へ出荷
何が何だか⁉で、友達は遊んでたり部活にうちこんでいても
父の命令は、背けず(>_<)
でも、今が有るのは椎茸のおかげなんですけど
子供心に反発心もあり、高校卒業したら鹿児島から出たい一心で猛勉強しました(笑)😁
そして、大阪・・の看護学校へ
・・・
今は、色んな事があって
でも、「椎茸」をみると思い出します。
母が兄と少しでもと、今でも作ってくれている椎茸
美味しかったです。