hatumamaのブログ

26歳の息子、2016年2月11日縊死

感謝

今、生きている

今、働いている

今、大切な子供達と意見言いあったり

会話出来ている

今、息子は亡くなったけど沢山の遺言 を遺してくれている


全ての事が天国の息子から「ママ、頑張れ、負けるな」って聞こえてくる気がしてならない。


そう、息子の死によって様々な苦しみを味わった。

というか 当たり前の事、「感謝」って言葉の大切さを忘れてしまっていた様な気がする。

今一度、見つめ直さなければ 息子が怒ってしまう。

息子が「俺の辛かった様々な思いを、今、生きている人達にさせたくない。

その為には、ママは しっかり皆をサポートしてくれ」

と、想像でしかないが

そう とれる状況が少なからず生前あった。

人間、自分の思う様にいかない時もある。しかし、道理が通っていれば いつか少しずつ歩み寄れる気がする。

生前の息子が弟を案ずる言葉も多々あった。昨日は、その一部を弟君にラインしてみた。

余り兄貴の事 話してなかったが、弟君は将来一人暮らしもするだろう

いや近い将来‼

既読になったので、後は弟君がどうとるかは?だが。

17歳で大切な兄貴を失った弟、何も言わないが先日「何でこんなに弱いんだ‼」と悲しげなラインをくれた。

弟もきっと悔しく、人には言えない心の痛みを感じている様だ。

ただ、やはり 17歳 「感謝」を少しでも表現して欲しい部分もあり

生前の兄貴→弟を思いやる言葉を伝えてみた。

最後に「お兄ちゃんを助けてあげられず、ごめんなさい。」

とママの気持ちを綴った。

姉2人にも同じ事が言える


皆で心のケアをしあう

そして「感謝」の気持ちを忘れないで欲しいと思った。

灯り&暗闇の繰り返し

いつもNICEして観覧して下さっている方、有難うございます🙇。


感情が まだらな自分

あれもしなくては、これもしなくてはって多忙で

気分的に疲労がとれず脱力感の日々


息子が生前「身体、気をつけっちゃね」とか

息子の・・県へ行った帰り「気をつけて帰りっちゃね」

地元にいる時は、母を気遣う言動見られなくて当たり前の様に過ごしていた息子。

成長し人を思いやる優しい大人になってくれていた。

親は、子供の成長の課程で安心したり不安を抱いたり

でも生き甲斐を感じられる事が幸せなんだと痛感する。

4人兄弟で結婚してないのは、高校生の弟君だけになってしまった。

兄(息子)の様に今は私に優しい言葉って言うのは恥ずかしい時期

望みもしないが、あ~なって欲しい願いはある。

今も1つ悩みが解決したら又次々と。

だから生きていられるのかもしれない。

息子の死が母親である私が拭い去る事が出来ない状況を見せない様にする事が精一杯。

思い出すと溢れる涙。

動画を見て声が聞ける事の喜び。

息子に会いたくても会えないのに玄関先に突っ立ってみたくなる。

切ないママを

思いを捨てきれないママを

許してね。

どうしょうもなく愛した息子。

今も

此れからも情緒不安定になってしまうママを

許して下さい。

息子を失った事実は逃避出来ない状態です。

久々に不眠で物音が

毎日、クタクタになるハードな仕事で それでも家事やモロモロこなし続けている。

でも、じっとして居られない性格。

しかし、昨夜

犬の遠吠えと異常に心臓の高なりを感じ、鬱状態の時の自分が戻ってしまった気がした。

トイレに行って夜中の2時、それから一時間毎に目が覚めてしまい、疲労が取れぬまま、5時~弟君の弁当作りと洗い場の片付けをした。

何だったんだろう。

息子が2月11日に朝~こんな感じで6時~8時位で縊死している。

あくまでも、死亡推定時刻。

今日は、亡息子の愛娘の運動会。行こうか行かないか迷っていたが元嫁→楽しみにしてる様な事

聞かされ、亡息子の墓参りで報告しビデオカメラを持って観覧した。

健気にニッコリ喜んでくれた孫、あ~来て良かった。去年は泣く泣く踊り余り楽しめていなく息子も仕事で来れず、今年は仕事なんかじゃない!

もう、見てあげられなくなってしまっている。一生懸命走ったり、踊ったりする孫の姿

頬に涙が伝った。4歳で父親を亡くすって

どんなに考えても何も答えが出ない。月に一度の会える楽しみ迄、奪われてしまっている。

息子の変わりの父親役になれるはずがない。

考えたら、考えるだけ涙が止まらなくなった。

何故、息子は私達より愛娘の事、考えてあげられなくなってしまった?

この子の事考える余裕がなくなってしまっていたのだろうか?

親子競技や父親との競技を見るのが辛かった。

でも私なりに微笑み返しするのが精一杯。本当に良く頑張ってくれている。立派に成長してくれる事を願うばかりである。

私が不眠だったのは、きっと今日の孫の成長を息子が変わりに見て来て欲しいと言う事を天国から

叫んでいたに違いない。

でも、行って良かったと思う。

ひいじいちゃんも喜んでくれて、愛くるしいひ孫を見る目は違っていた。

不眠でもいい。

何か伝えたい時は息子が背中を押すっていう事を感じた。

今日も一日有難う。